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「荒城の月」うんちく 瀧 廉太郎/七五調の歌詞と西洋音楽のメロディが融合

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『荒城の月(こうじょうのつき)』
土井晩翠作詞  瀧 廉太郎作曲

七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した名曲。

 

 

あんぷらぐどぬしこと前田です。

「西洋音楽のメロディ」
これがどういうことかは、あんぷらぐどの歌の先生に聞かないとワカリマセン^^

あ、それに、山田耕筰が後から編曲していたのですね~

 

さて、歌ってみましたが、やはり、

息が続かない~~!!!

まだこの歌でのレッスンは受けていませんが、
先生によると、レガートに歌う練習になるとか。

伸びやかに響く、表現豊かに歌いたいものです!

 

 

瀧廉太郎:満23歳で没。

早いですね。。。

瀧廉太郎という名前からして、
ひげを生やしたガンコなオッサンをイメージしますけど。

クリスチャンとは知りませんでした。
でも戒名もあるぞ??(笑)

 

では、うんちくです(^^♪

「荒城の月」は瀧廉太郎生涯の自信作

 

瀧はヨーロッパ留学中に胸を患って竹田市に帰郷、
亡くなる直前に母親にこういったという。

「お母さん、わたしは自分の寿命がよくわかる。
あの荒城の月が歌われる限り、幻の岡城趾と共に‪永遠に思い出されるでしょう」
と語った。

それだけ自信作だった、といわれている。

 

荒城の月 その成り立ち

 

明治34年(1901年)に中学校唱歌の懸賞の応募作品として作曲された。
原曲は無伴奏の歌曲であった。

歌詞は、東京音楽学校が土井晩翠に懸賞応募用テキストとして依頼したもの。
原題は『荒城月』。

 

「【初出】

『中学唱歌』(明治三十四年三月=1901年共益商社楽器店発行)に
掲載された曲名は「荒城月」ですが、
明治三十五年七月発行(第五刷)では「荒城の月」となっています。

ロ短調で八分音符単位の四分の四拍子で書かれ、
「花の宴」の「え」のホ音にシャープが付けられて嬰ホ音になっています。

全体わずか八小節の小品です」

~ウェッブ『池田小百合なっとく童謡・唱歌』による

 

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山田耕筰が改編

 

1903年(明治36年)に瀧が没し、
その後の1917年(大正6年)山田耕筰はロ短調から短三度上のニ短調へ移調、
ピアノ・パートを補い、旋律にも改変を加えた。

山田版は全8小節からテンポを半分にしたのに伴い16小節に変更し、
一番の歌詞でいえば「花の宴」の「え」の音を、
原曲より半音下げて(シャープをとって)いる。

山田耕筰のピアノ伴奏を用いながら、
オリジナルの旋律を歌った例として、
米良美一の録音が挙げられる。

 

荒城の月~詩を詳しくみましょう

 

原文

春高樓の花の宴
めぐる盃かげさして
千代の松が枝わけいでし
昔の光今何處

秋陣營の霜の色
鳴き行く雁の数見せて
植うる劔に照りそひし
昔の光今何處

今荒城の夜半の月
替わらぬ光誰がためぞ
垣に殘るはただかつら
松に歌ふはただあらし

天上影は替らねど
榮枯は移る世の姿
寫さんとてか今もなほ
鳴呼荒城の夜半の月
 

 

春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)
巡る盃(さかづき) 影さして
千代の松が枝(え) 分け出でし
昔の光 今いずこ

秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿いし
昔の光 今いずこ

今荒城の 夜半(よわ)の月
変わらぬ光 誰(た)がためぞ
垣に残るは ただ葛(かずら)
松に歌う(うとう)は ただ嵐

天上影は 変わらねど
栄枯(えいこ)は移る 世の姿
映さんとてか 今も尚
ああ荒城の夜半の月

 

  
「明治政府の廃城令により、各地の城郭や石垣は崩され、
堀は埋められ、天守閣 も取り壊されて、全体の一部だけが保存されました。

人々に親しまれた城のたどった道は、
人の世の栄枯盛衰とその哀れを思わせる物でした。

この詩は、そうした廃城にたたずむ者の感懐をうたったものです。
詩は七・五調の四句を一連とした四連構成になっています。

  
<第一章>と<第二章>は、対(つい)になっている。
春(平和な時)と秋(戦いの時)を対比させている。

<第三章>と<第四章>は、すでに「荒城」廃城になった場に立ち、
「よはの月」夜半の月を仰いでの感慨をうたっている。

詩の意味を考える時、<第一章>と<第二章>が対句になっている事に留意したい。
<第四章>は<第三章>を受けたものです。

キーワードは、
まさに「荒城」と「月」で、テーマにそった優れた作品になっている。
(参考文献)黒沢弘光・解説『日本名歌曲百選 詩の分析と解釈Ⅰ』(音楽之友社)」
ウェッブ『池田小百合なっとく童謡・唱歌』による

 

歌碑所在地

 

歌碑は全国に4箇所設置されている。
土井晩翠が詞を構想したとされる宮城県仙台市の青葉城址、
同じく福島県会津若松市の鶴ヶ城址。

そして滝廉太郎が曲を構想したとされる大分県竹田市の岡城址、
同じく富山県富山市富山城西側。

「荒城の月」作曲者の瀧廉太郎は、幼少期を竹田で過ごしており、
この岡城にて曲のイメージを得たといわれているため、
城址には廉太郎の銅像が、遠方の山並みを眺められるところに建てられている。

大野川を挟んで岡城の下を走る国道502号の上り車線には
メロディ舗装がなされた区間があり、
車が通過すると荒城の月のメロディが聞こえるようになっており、
岡城からでもその音を聞くことが出来る。

 

参考:
・ウイキペディア
・ウェッブ『池田小百合なっとく童謡・唱歌』による
 http://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/doyobook/doyostudy09.htm
・日本抒情歌全集1長田暁二編

 

 

荒城の月を一緒に歌おう♪

 

豊春春日部の声楽教室・あんぷらぐどぬしこと前田です。

 

先日、第2・4週水曜11時からのレッスン講座、

「うたごえ~楽しく歌おう」に参加しています。

前々から興味があったのですが、
うたごえに参加して、もっともっと
日本の童謡唱歌・抒情歌など歌ってみたくなりましたね~

 

この日のレッスン講座では、先生おすゝめの
「箱根八里」からスタート、
生徒さんの歌いたい曲
「女ひとり」「さくら」「蝶々」「春の小川」などを歌いました。

■うたごえ~楽しく歌おう

第2・4週水11時~

3か月より 7500円(税込8100円) 年会費2160円

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 お気軽にお申し込みくださいね~

048-755-2363 火曜定休

あんぷらぐど

 

 

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