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日本人がピアノと仲良くなるために遺しておきい言の葉 4

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④ピアノは肉体労働である

たぶん「華やかに見えるかも知れないけど、実は」と言う前置きが欲しいのかも知れないが、
間違った誤解を生むだけの指摘である。
 
たとえば「この部分を弾いていると疲れてしまうけど、もう少し我慢していれば慣れる」とか
「ピアノは高齢になると弾けなくなる」とか。時代錯誤も甚だしい。

 
アスリートの方たちに、「スポーツは肉体労働」などと決めつけたら、
かなり白い目で見られるのは、運動音痴の私でも容易に察しが就く。
 
彼らに限らず、どんな専門家でも、まず体を酷使して事を為そうと考える人たちなど皆無であろう。
たとえ最初がそうであったとしても、工夫して何らかのコツを掴もうとするのが理である。

 
奏法についての“遺言”でも重要なポイントの一つとなるが、我々ピアニストは基本の考え方として、
いかに無理なく効率よく音を出すかに神経を注いでいる。
 
特に日本人は手の小さい人が多い。私の習ったヨーロッパの教授など、
まるで手の拡大模型を見ているようだった。
 
指が長いとか、手のひらが大きいとか言う問題ではない。手そのものが大きいのである。
 
たぶん野球のイチロー選手も同じだと察するのだが、我々がある程度、
欧米の人たちと互角に渡り合うためには、体力ではなく技術で勝負するしかないのである。

 
切り詰めて考えて行くと、いちばん動きの少ない弾き方を技術的な近道と捉えるのが正解。
畢竟、前にも述べた美しい音に繋がるのは言うまでもない。

 
自由な演奏と勝手な演奏は、全く違うものであり、残念ながら双方が混同されている事を思うと、
前者に稀少性を見出だすべきか、はたまた後者に危険性を感じるべきか。
 
「すぐには弾けない」と断定してしまった以上、当然の成り行きと潔く諦め、
であるからこそ現況に一石を投じるべく、次章より“遺言”を提示して行きたい。

 
なお全体を3章に分け、まとめて見たが、まさに“三位一体”なのであり、
どれが欠けてもピアノとは仲良くなれないのを、助言として加えておきたい。

 
さらに、もう何点かを補充編として掲げる。
 
また違った視点から仲良くなっていただければ幸いである。

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